金容成(キム ヨンソン) のブログ

私は統一家の混乱がこんなにも長く続くとは思わなかった。統一家の混乱の全貌を知った後、私は良心的にも沈黙することができなかった。私に分かったことは、私が一人で背負って行くには、あまりにも大きな荷物であるということである。摂理の主体勢力である統一家の祝福家庭が不義と偽りにこれほどまでにも弱いとは思わなかった。

統一家、世の中に向かって飛翔しろ

 

統一家の混乱を克服する為の統全的理解-序論

 

<はじめに>

もしもサタンを連れて行って神様の前に訴えるならば、神様が「こいつ!それはそうではない!」と、語られるでしょうか、それとも喜ばれるでしょうか。神様は言うまでもなく「そうか、息子よ!たった一人の私の息子よ!」と、全世界の前で祝福を与えたいと思われるでしょう。

そのようにしたい神様の内情がいかに切実であり、そのことをどれほど望んでおられるかを私達は想像することができます。神様は絶対的な神様です。全知全能の神様です。公義の審判主であられるので、もしもサタンを訴えて讒訴する者がいれば、神様はサタンを審判することができるのです。

資料:み言選集(韓国語)54巻~60巻 1972.3.11

 

私には分からないことがとても沢山あった。

 

私は統一家の混乱がこんなにも長く続くとは思わなかった。統一家の混乱の全貌を知った後、私は良心的にも沈黙することができなかった。私に分かったことは、私が一人で背負って行くには、あまりにも大きな荷物であるということである。摂理の主体勢力である統一家の祝福家庭が不義と偽りにこれほどまでにも弱いとは思わなかった。

 

み旨の道を歩んできて、既成教会から無理解と皮肉と冷たい眼差しを受け、無関心と無知に陥った彼らに苦しんだ過去の痛い経験を、今日、統一家の祝福家庭から思い知らされる日が来るとは本当に夢にも想像できなかった。

 

これほどの混乱は、統一家の祝福家庭の公義と公憤で解決されるだろうと思っていた。しかし、原理と摂理を知らない祝福家庭がこれほどまでにも多いとは思わなかった。統一家の価値とビジョンよりも、目の前の物質と現実的な権力に摂理的良心を売る指導者が私の隣にもいるとは思わなかった。

 

正邪を問うよりも和合と疎通に全力をつくす批判的忠告に胸が詰まる。ある先輩は、批判したい思いを鎮め、まず理解しようとする態度を持ちなさいと忠告する。他人の過ちを指摘する習慣を捨てなさいという忠告もする。まず許して和解し手を差し伸べよという温厚な戒めである。

 

間違った言葉ではない。滑らか洗練された高度な語彙である。

 

しかし私は、彼らの主張に耐えがたく吐きそうな不愉快を感じる。彼らが楽に吐き出す忠告が、真の家庭に激しい痛みと統一家の悲しい現実をまるで他人事のように徹底的に無視しているからである。卑劣で残忍であるいう想いを振り払うことができない。

 

真の家庭は決して祝福家庭にとって他人ではない。統一家の混乱も祝福家庭にとって他人事ではない。統一家の混乱を祝福家庭がまるで自分とは関係のない事として片付け、陣営論理による批判的立場から両批論を広げる学のある無識人が方々に散らばっていることに本当に戸惑う。

 

考えてみよう。真の家庭とは他人なのか?

 

祝福家庭は真の家庭が母胎となって出発した家庭である。祝福家庭の根は真の家庭にある。したがって真の家庭は祝福家庭にとって他人ではない。まさにこのような観点が、統一家の祝福家庭が真の家庭の事態に対して関心を持たなければならない核心理由である。

 

お父様が90年の生涯において繰り広げられた人類救済の聖業は、人類の未来の為に渾身の力を尽くして来られた血と涙の生涯路程であった。祝福家庭の永遠なる幸福の為に奉仕と犠牲の道を歩んでこられた生涯であったことを祝福家庭は否定しないだろう。

 

お父様も世の中の親たちのように、子供たちを膝元で愛する当然な親としての役割に忠実であったならば、5人もの子女様を先に霊界に送るようなことは起こらなかっただろう。

 

しかし、お父様はそのようには生きられなかった。

 

お父様は1日24時間、90年の生涯において、子女様の安全と危険を考えることができなかったほど、生涯を徹底した摂理意識の中で生きて来られたことを祝福家庭は知らなければならない。そのようにされるしかなかった切迫した心情で90年の生涯を生きてこられた。ただ一つ、摂理の為に。

 

お父様は5人もの子女様を先に霊界に送られた。

 

お父様も人である。私達よりも喜怒哀楽の感性が鋭く敏感な方だ。喜びと悲しみの感​​度が私達よりも広く深いの方である。人生において、父親として最もおぼろげな悲しみがあるとするならば、それは子供の死である。

 

子供の中で一人でも天命を果たすことなく霊界に送らなければならないとするならば、父親としてその悲しみは耐え難い苦痛そのものである。祝福家庭は、お父様が5人の子女様を霊界に送られた悲しみと苦痛の限界がどのようなものなのかをはっきりと察しなければならない。

 

耐えることができないその痛みと悲しみを胸に刻んで、また刻みながらも表に現さず人類の未来の為、統一家の祝福家庭を育ててこられたお父様のその心情を察して差し上げなければならない。祝福家庭がこの点を見落としながら生きて来たのであるならば、いくら「お父様!」を千回万回呼んだとしても、お父様を「他人」のように思う人である。

 

偽善者ということである。

 

もう一度、考えてみよう。統一家の混乱が祝福家庭にとって他人事なのだろうか?

 

統一家の祝福家庭は、文鮮明韓鶴子の二方によって成された家庭を真の家庭として、人類のモデル的理想家庭で​​あることを世の中に証してきた。真の家庭がモデル的理想家庭であるという意味は、すべての人類にとって基準となり、標本となり、モデルとなる家庭であることを意味するので、人類が見習うべき家庭でもある。

 

しかし2009年3月8日、お父様が束草天正院で、50余年の間育ててこられた弟子たちによる虚りの陳述を信じ、顯進様を摂理の現場から追い出された時点を分岐点に、真の家庭は、今日、全世界にバラバラになり、真の家庭同士のコミュニケーションがとれず、離散家族のような痛みを伴う生を送られ、統一家は両分された。

 

これが統一家の冷たい現実である。

 

2015年1月現在、私達は現在の真の家庭を人類が見習うべきモデル的理想家庭で​​あると証明することのできる名分を失ってしまった。むしろ世間から懸念されなければならない残念な立場にあられるからである。

 

2015年1月現在、真の家庭を人類のモデル的理想家庭として人類に堂々と証しできないということは、真の家庭を通して真の生命、真の愛、真の血統を受け継ぎ、神様の本然の息子娘として生まれ変わるという主張をすることができないということになる。

 

もしも2015年1月現在、統一家の真の家庭を通して真の生命、真の愛、真の血統を受け継ぎ、神様の本然の息子娘として生まれ変わるという主張ができなければ、これは神様の6000年における人類救済の摂理史が現実的に無為化されたことをも意味する。

 

2015年1月現在、お父様が地上に残された真の家庭は一つになれない状況において、統一教会の教権勢力によって摂理の辺境へと追放され、バラバラになり、痛みと悲しみの歳月を送っている。

 

90年の生涯において唯一神様の摂理の為に犠牲と奉仕の歩みを歩んでこられたお父様は、地上にいらっしゃった時、どんな事があっても2013113日の基元節を終えて霊界に逝かれなければならないと語られた。

 

しかしお父様は、地上で基元節を迎えることができず、現在は天上にいらっしゃる。

 

お父様はみ言を通して、天上天国は個人で入る所ではなく、家族単位で入る所であると教えてくださった。ならば2015年1月現在、お父様は、統一教会の教権勢力が主張するように、お父様はみ旨をすべて成して天上に行かれたので、お父様は天上で言葉にできない喜びと歓喜の天国生活を送っておられるのだろうか?

 

それとも、たとえ天上で天国におられたとしても、地上に残された真の家庭のメンバーと統一家の混乱による残念な思いと痛みゆえに、心情的には地獄のような生活をしておられるのだろうか?私達が学んだ原理のごとくに正直に表現するならば、お父様は地獄の生活をしておられると見るべきである。

 

この当惑した統一家の混乱の惨状が祝福家庭にとって他人の事なのだろうか?正常な祝福家庭であるならば、混乱に対し沈黙を通すことはできないと思う。

 

統一家の混乱の核心に顯進様がいらっしゃる。

 

2009年3月8日、血肉である真の父母様から束草天正院において数百人の指導者たちが見ている中、UPF、GPFの公職から下ろされ、肉親である弟からはサタンとして、お父様を主管する親不孝者として公開的に批判され、統一教会の教権勢力からは摂理の反逆者として、統一教会の祝福家庭からはサタンとして、放蕩息子という嘲笑と皮肉により徹底的に排斥された7年余りの間、桎梏の歳月が流れ、今日に至っている。

 

顯進様をお父様は本当に愛された。

 

孝進様が地上にいらっしゃるにもかかわらず、長子であると言及され、後の摂理の代身者として育ててこられた。統一教会の教権勢力の誰もこの事を否定できないだろう。特に朱東文、梁昌植、黃善祚氏ははっきりと覚えているはずである。彼らの面前で語られ、彼らは聞いたからである。

 

痛みを伴う悲しいことではあるが、お父様が膝下に50年余りの間育ててこられた弟子たちによる虚り陳述を信じ、愛する真の息子顯進様を摂理の現場から追い出されてしまわれた。

 

お父様は半神半人ではない。天道と天の秘密を明らかにし、摂理を経綸されるにあたり天賦的な資質を持っておられるが、世間の雜事に関しては欺かれる可能性も持ち合わされている方である。

 

今日、真の家庭が解体された統一家の混乱は、ある日偶然に発生した事態ではない。神様の創造後、エデンの園でアダム家庭を破綻させたそのサタンが数億万年後、21世紀に真の家庭に偽りを浸透させ、自己憐憫と自己中心的な利己主義の奴隷となり、高慢に陥った指導者の精霊を道具として神様の最終的創造理想を完成する基元節摂理を破綻する為に長い歳月をかけて計画され、発生した意図的な事態である。

 

もしも創世後、エデンの園に実在したサタンが21世紀現在、神様の摂理を破綻させることを決心したならば、その最初の攻略対象は真の家庭だろう、その第二攻略は8大教材教本の破棄だろうし、その第三攻略は摂理機関の歪曲だろう。

 

もしもサタンが上記の三つの事態を偽りをもって完全に破壊したならば、神様の人類救済の摂理は再創造摂理を経綸しなければならない。しかしサタンが真の家庭と統一家にもたらした偽りの切れ端を完全に取り払い偽りを清算するならば、これまでのサタンの反逆質は無為化されるだろう。

 

そうすればサタンが真の家庭と統一家にもたらした偽りの切れ端を完全に取り払い、清算し、エデンの園で失われた真の家庭を復元し、統一家本然の位相を取り戻さなければならない主体は一体誰なのか?

 

神様なのか?真の父母様なのか?それとも真の子女様なのか?それとも祝福家庭なのか?

 

その主体は神様と真の父母様ではない。真の子女様を含む祝福家庭の責任である。これは私の主張ではない。お父様の指示であり、訴えられるところである。

 

2008年度4月18日、統一教会の教権勢力が初めて統一家の摂理に公然と反旗を翻して出発した文亨進世界会長就任式の時のお父様の祝祷のみ言​を紹介する。お父様はずっと泣かれながら祝祷してくださったことも明らかにする。

資料:2008年4月18日、文亨進世界会長就任式での祝祷のみ言から抜粋

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(上の写真の韓国語字幕:エデンにおいて歓喜の家庭の名前を持てなかったことは神様の責任ではありません。下の写真の韓国語字幕:真の父母の責任でもありません。私達の責任として残されたものであることを知っています。)

 

このような観点から、私は統一家の混乱を2000年の初めから2012年度まで、統一家の摂理現場に実在した真実と偽りの様々な混乱を統全的に究明することで統一家の祝福家庭が真の家庭の復元と統一家の混乱を早急に克服するにあたり、役に立ちたいと思うものである。

 

私が言及した統全的という意味は、統一家の混乱の期間に発生した事案全体を一つの束として見て、統一家の混乱全体に流れる明らかで確実な疑惑を一以貫之の立場から究明するという意味である。